精神障がい者ピアサポート基礎養成講座、開催しました。その5-〈後半〉

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精神障がい者ピアサポート基礎養成講座の5回目を昨日開催しました。後編です。

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 リカバリーストーリ―を1人20分ずつ語るということをしました。ありがたいことに、私もその語り部の1人として参加させて頂きました。

緊張しました。15分の長丁場で実生活の人前で喋るのは久しぶり、、、というか、もしかしたら初めてなんじゃないかと記憶を辿って振り返って思います。自分のトーク部分の録音を録ったんですけど、初めてのくせに何ともまぁ偉そうな(苦笑)って印象でした。以下、15分のトーク内容を文字で起こしたものをフルではないんですけど一部記載させて頂きます。ご興味ありましたらご覧ください。

 

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はい、私、ピアサポートセンターげんきの利用者の(ねえちゃんの本名)です。どうぞよろしくお願います。リカバリーストーリ―なんですけど、読み上げていきたいと思います。えーと、私は昔は生真面目な優等生でした。ええと(笑)中学生くらいまでは優等生で通していました。はい、あのー、、、大体何をやっても平均以上超えてしまうので周りから目立っていて、何かしら役員だとかそういったものをやる人がいないから、頼むからお願いします。といって、やらされることが多かったです。とても嫌でした。で、ストレスがあったんでしょうね、それで。中学校高校時代とか、あと小さいころからそうだったんですけれども、授業中にトイレに行かないことができずに必ずこういった話しているときに催してしまって、抜け出したくなる体質でした。いちいち、先生にすみませんトイレ行きたいので授業抜けていいですか?と尋ねるのがとても嫌でした。あと、小さいころから爪を噛む癖が抜けなくて。で、手元は爪が短くて。1㎝もなかったんじゃないですかね。手の爪もそうですし、足の爪もボロボロでした。…

…私は17のときに家庭の中がめちゃくちゃだったので、家に心が休まる場、自分の居場所がなかったのもあって、高校の時に2か月だけ頑張って自分の興味のなかった福祉分野に絞って、家から遠い学校を選んで大学に1か所だけ受かったので、そのまま大学に入りました。はい、あの・・・福祉目指してるから偉いねとか言われた事もあったんですけど、そうではなくて。ただの逃げ口の手段でした。はい。で、17歳の頃、ストレスが凄くて。16の終わりごろから不登校になり、17の時には出席日数がぎりぎりでした。そして、その当時私は覚えてなくて家族が言っていたんですけれど、私を見て、皆が笑っていると言っていたそうです。それを聞いて母は私を精神科に連れて行きました。精神科に連れて行ったときの診断は、思春期の心因症状だっていわれました。その当時、そういう風に診断されたんですけど、とりあえず家から出たいっていうのが私の一番の目標だったので、友達とその当時お付き合いしていた人との支えもあり、何とか症状も落ち着きまして。大学合格してそのまま大学に行き、23-24のときまでは普通にすごすことができました。

で、25の時、23の時に入った職場で行っていた仕事の1つがまわらなくなり、上から2番目の人からパワハラを受けるようになり、何かが壊れていきました。それで、発症しまして。…そのときは、うつとPTSDといわれましたが、後になってから統合失調症と変わりました。

統合失調症発症してから、どこか支援に繋がったらいいんだけどなと思っていたんですけど、自分が思っているだけでこうなりたいああなりたいそうなりたいって一切言わなかったんですよ。だから、家の中にずっとこもっていました。家の中で何やっていたかというとインターネットしていました。インターネットでチャットを打ったりとか、昔の職場で働いて貯めたお金をゲームで全部燃やしちゃったりとかしていました。はい。

お金はないですけれども、そんな中で家に戻ってきなさいと言われまして。一人暮らししてたんですけれども。戻ってきて。今のクリニックに通い始めて。高校時代に初診を見てくれたクリニックと同じクリニックで。久しぶりに会った主治医には、忘れてて誰だか覚えていないといわれたんですけれど、当時の問診票とか全て振り返ってみて下さったようで。今のあなたと当時のあなたの事を振り返ってみて症状を見ていきたいっていわれました。前のクリニックではうつ兼PTSDと言われていたんですけれど、統合失調症陰性症状が強いタイプって言われていました。

そして、家にこもっていた私が何をしたかというと、あの、一番具合が悪かった頃寝てました。食事もトイレもできずにその場で3日3晩寝てました。枕元にある携帯が鳴っても取れませんでした。だけど、今ではこうやって目の前で喋れるまでになりました。不思議なものです。

家の中で何もすることがなくてどこにも支援を繋がりたくても繋がりたくないと個人的に思っていた施設がいくつかあったので行きたくなかったので行きませんでした。代わりに何やってたかというと、あの、、、さっき福祉の学校に通っていたとさっき言いましたけれども、私は23のときまで福祉系の大学に通っていました。受験資格までは取っていたのでとりあえず受験するかということで、リハビリと時間潰しを兼ねて精神保健福祉士の資格を取ろうと決めました。最初は、無理だよーとか無謀だからやめなよ。とか、そんなことやってるんだったら俺と付き合うのをやめて結婚の話もなしにしようとかあったんですけれど、それも全部あ、そうですかってなって結局結果から話すと30か31の時に精神保健福祉士取りました。でもまだ実生活で資格を活かして仕事をするには至っていないので、これから先活かせればいいかなと気楽に考えています。

32のときに、昨年の2月からげんきに通い始めています。で、げんきに初めて通った日にその時お会いした方に言われたんですけど、ねえちゃんとまた会いたい。と言われて、握手をしてぶんぶん振られたんですよ。だからそれをやられてびっくりして。どう反応していいかわからず固まっちゃったんですけど、実はとても嬉しくて。それで、自分としては半年(げんきで)やって行ければいいほうかなと思っていたんですけれど、いつのまにかもう2年近くになりますね。ありがとうございます。そのときお会いした利用者の方にいわれたんですけれど、ねえちゃんさん、人前で歌わないの?って言われまして。人前じゃなくて、家で歌う事は元々やっていたんです。言われてみて、ああそうかと気づいて。後に引けないなと思って、人前でピアノとうたをやるようになりました。地域にある歌のコミュニティみたいなのにも参加するようになり、一緒に活動するようにもなり、私が学生時代に習っていた鍵盤の先生に20年ぶりに会って一緒に活動させてもらうようになりました。そんな感じです。とりあえず現在に至ります。

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といった内容の話を展開させて頂きました。録音起こしってなかなか時間かかりますし難しいですけれど、久しぶりにやってみました。自分の口調の癖を嫌というほど思い知らされて恥ずかしいですね^^;

 

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