いもねえちゃんのいも日記

33歳の施設録・音楽♪等の活動日誌

わたしの分岐点

f:id:imoneechang:20160617091827j:plain

福祉分野を志すきっかけになった、私の分岐点をお伝えしますね。

 

私の分岐点

祖父が特別養護老人ホームに入所

高校3年生で、そろそろ進路を皆考え出す頃でしょうか。別居の祖父がアルツハイマー認知症の症状が悪化し、自宅での介護が困難になったため、特別養護老人ホームへ入所しました。それで、母と一緒に祖父のいる施設へ初めて見学に行ったときの衝撃、今でも覚えています。回廊型の施設構造、その場の不思議とも思える雰囲気、におい…中でも一番ショッキングだったのは、祖父が既に私のことを全く分からなくなっていて、やり場のない悲しさを覚えた事でしょうか。そのときの出来事を大学入試の際、面接で打ち明け、なんとかその大学へ入学することができました。 

念願だったイマドキの商社系OLにはなれたのだけれど…

諸事情で親族と家族に頼まれ、大学と養成校で計5年、社会福祉と精神保健福祉を勉強しました。しかし、私はその当時、福祉分野は自分にはまだ早い、普通の一般OLになりたいという進路希望があり、フリーターを経て、とある商社に一般就職しました。ですが、入社して1年で、不向きな仕事の蓄積と、上司からの度重なる叱責から仕事がうまく回らなくなり、不眠と痩せていく日々が続きました。そして、1日のうちに感情が乱高下するようになったので、これはもう無理ということで1年7か月で退職しました。

転んでもただでは起きぬというかやることが他にない…そんな日々

 退職して、環境を変えたら大丈夫だろうと再就職を1度すぐにしたのですが、体調が優れず試用期間で辞めました。そして、療養生活が始まりました。療養生活といっても、デイケアとか紹介されるわけでもなく、ただ自宅にこもりっきりで、法制度の網に漏れたリハビリ支援の届かない患者でした。だから、特に何をしたらいいのかわからず、暇で暇で仕方ない毎日でした。なので、学生時代の忘れ物を取りに行くかな?とかいった軽い気持ちで当初は始めました。しかし、国家試験の回数を重ねるたびに状況は変わってきます。あと1点、届かないのです。その1点の努力が足りないことが悔しくて、ずっと向き合ってきました。そのうちに、自分が当事者のスタッフになってこの悔しかった経験を毒を以て毒を制すじゃないけれど、自分の飯を食えるための道具になったらいいなぁとか考え方が発展していきました。

 

そして現在

現役時代から受け続けて10回。近年ようやく精神保健福祉士は合格できました。社会福祉士はいまだ挑戦が続いています。資格を取っておしまいというわけではないから、まだまだ自分の中で追い求めていくものは続いていくんでしょうけれど、こういう歩みがあったということを、綴っておきたいと思った今日この頃です。